貴重書展示 コンドルセ『人間精神の進歩に関する歴史的展望の素描』(1795)

滋賀大学付属図書館の貴重図書コーナーの展示替えをしました。2017年春の展示は、コンドルセの遺作『人間精神の進歩に関する歴史的展望の素描』(Esquisse d’un Tableau Historique des Progrès de l’Esprit Humain. S.I., s.n., 1795)です。

 コンドルセが支援したとされる、ルーシェによるアダム・スミス『国富論』の仏語訳 (Recherches sur la nature et les causes de la richesse des nations, traduites de l’anglois de M. Smith, sur la quatrième édition, par M. Roucher. Paris: Chez Buisson, 1790-1791)も同時に展示しています。

以下は、私の解説文の抜粋です。

コンドルセ(Condorcet, Marie-Jean-Antoine Nicolas de Caritat, 1743-1794) は18世紀のフランスで活躍した啓蒙思想家である。その業績は多岐にわたり、数学者(特に確率論)、黒人奴隷の解放論の先駆者、チュルゴの経済改革の協力者、近代的な公教育制度の立案者などとしても知られる。
 今回展示するのは、コンドルセの遺稿となった『人間精神の進歩に関する歴史的展望の素描』である。コンドルセは、この中で、理性、科学、技術、社会、人間の無限進歩を確信しており、本書は、啓蒙思想の最後を代表する著作として、後世に影響を与えた。
  マルサスが『人口論』(1798)で、このコンドルセの進歩論に真っ向から反論する形で、議論を展開していることはよく知られている。

滋賀大学経済学部の2017年春学期の講義では、私の担当する「経済学史」でアダム・スミスとマルサスをとりあげます。受講する皆さんはぜひこの貴重書コーナーにも注目してください。

なお本展示に関する図書館のウエッブページはこちらです。次回の展示替えは9月を予定しています。

書評 米田昇平『経済学の起源 フランス 欲望の経済思想』

米田昇平氏の最新の著作『経済学の起源 フランス欲望の経済思想』(2016)についての私の書評が、『経済学史研究』58巻2号(2017年1月25日号)に掲載されました(92-94頁)。

現代経済学の知られざる起源を扱ったこの著作は、イギリスでスミスの『国富論』が公刊されるずっと前、フランスにおいて、人間の本性と欲望について、また利己心をもった人間が織りなす社会秩序について、非常に活発で意義深い論争が繰り広げられていたことを示しています。経済学史や社会思想史に興味がある方のみならず、現代経済学を専門とする方々にも、おすすめします。

リヨンでのセミナーを終えて

2017年最初の研究活動です。1月13日、リヨンのトリアングル研究所で、Japanese Walrasian Economists on Walras’s Social Economics : Introduction to the Japanese Translation of Études d’économie sociale de Léon Walrasというテーマでセミナーを実施しました。(プログラムはこちら

セミナーでは主に、ワルラスを日本語に翻訳・紹介した3人の経済学者たちー手塚寿郎、早川三代治、久武雅夫と、日本を代表するワルラシアン経済学者ー森嶋通夫をとりあげ、彼らがワルラスの社会経済学およびワルラスの科学的社会主義・社会正義観をどうとらえていたかという話をしました。

当日は、このセミナーに私を招聘してくれたRebeca Gomez Betancourt氏をはじめとするリヨン第2大学教授の皆さんたちのほかに、同大学の名誉教授であり『ワルラス全集』の編者でもある Pierre Dockès 教授とJean-Pierre Potier教授、トリアングル研究所の元所長のGérard Klotz教授も、セミナーに参加してくれました。また今回は、研究者や博士課程の学生さんだけでなく、修士課程の学生さんたちも多く出席してくれたことが、とても印象的でした。

さてリヨンという町は、現在のフランスの首都パリよりもずっと古い歴史をもち、古代ローマ時代はガリア地方の首都でした。中世以降は、金融業や絹織物業で栄え、旧市街の美しい街並みはそのままユネスコの世界遺産に指定されています。この繁栄を支えた絹織物業にかかわる史跡が、職工たちが住んでいたクロワルッスの丘に主に残っています。

Cours des Voraces は、1830年代と1848年の2月革命のときに絹織物の職工たちが、賃金や労働条件を巡って闘った場所として有名です。

「ジャカード織機」で有名なジャカール(Joseph Marie Jacquard,1752-1834) の銅像です。彼の発明した機械の導入によって職を失うことを恐れた労働者たちが、最初、激しい抵抗運動を繰り広げたといわれていますが、結局は生産性の向上につながることから、広く採用されるようになりました。銅像には、「Bienfaiteur des ouvriers en soie 絹の労働者たちの恩人」という文言が刻まれています。

クロワルッスの丘には、「ジャン=バティスト・セー通り」があります。「セー法則」でおなじみの経済学者 J.B.セー(Jean-Baptiste Say, 1767-1832) はリヨンの絹織物商の家に生まれました。この通りからコルベール広場に入ると、眼下にリヨンの絶景が広がります。

今回の滞在期間中、フランスは大寒波に見舞われており、リヨンでも珍しく雪が積もったほどでした。また日本に比べて日も短く、あまり散歩をたのしめる気候ではなかったのが残念です。

1月13日 リヨンでセミナーを開きます

2017年1月13日、フランスのリヨンでセミナーを開催します。報告タイトルは、「日本のワルラシアン経済学者たちはワルラスの社会経済学をどうとらえていたか:ワルラス『社会経済学研究』日本語訳への序文」です。« Japanese Walrasian Economists on Walras’s Social Economics : Introduction to the Japanese Translation of Études d’économie sociale de Léon Walras »

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ワルラス『社会経済学研究』初版(1896)

サブタイトルの通り、内容は、私がとりくんでいるワルラスの大著『社会経済学研究』(1896)の日本語訳の解題として準備してきたものです。この著作は、ワルラスの経済学と思想を理解する上では不可欠であることはよく知られていますが、未完の大著ということもあり、その内容はフランス人でも理解するのが難しいといわれています。2010年に初めての英訳が出版されましたが、正確さという意味ではあまり評判がよくありません。私はもう6年以上前からこの翻訳に取り組んでいますが、予想以上に苦戦を強いられています。今年度、この翻訳に集中的に取り組むため、大学よりサバティカル(研究休暇)を取得しました。このセミナーもその研究計画の一部に含まれています。

さてセミナーを開くリヨンの「トリアングル」という研究組織は、私にとって大変なじみのある場所です。2000年から2001年まで文部省(当時)の長期在外研究員としてリヨン第2大学に滞在した際には、ここは「ワルラス研究所」という名前で、その名の通り、ワルラス研究のメッカでした。その後、組織替えで名前が変わりましたが、私は客員研究員として、頻繁にここを訪れました。ここでセミナーを開くのは今回が3回目ですが、なにしろ7年ぶりなので、世代交代が進んでおり、多くの若い研究者たちとは初対面になります。

私のセミナーのプログラムはこちらです。

根岸隆教授 講演録「ワルラスの樫の木」をめぐって

今年の春、根岸隆教授から、日本學士院での講演録「ワルラスの樫の木」の抜刷 (日本学士院紀要 第70巻第3号)が届きました。「ワルラスの樫の木」とは、レオン・ワルラスが友人あてに書いた手紙の中で述べた、ある有名な文章を指しています。一般均衡理論の創設者として名高いワルラスですが、存命中はなかなか思うように評価されず、苛立っていたのです。

「ひとは自分の行ったことに明確な認識を持たなくてはならない。もし収穫を急ぐならば、ニンジンやサラダ菜を植えるべきである。しかしもし樫の木を植えるだけの野心があるならば、自分自身にこう言い聞かせるべきであろう。わたくしの孫たちはこの緑陰をわたしに追うているのだ、と。」(1903年4月 ワルラスからルイーズ・ルナールへの手紙)

この「樫の木」の文章について、根岸教授から最初に問い合わせがあったのは、もう18年近く前になると記憶しています。根岸教授はこの講演録で、私とのやり取りも含めて「樫の木」をめぐるいきさつについて説明されています。

「樫の木」の文章が含まれたワルラスの書簡は、1965年にジャッフェが公刊した『ワルラス書簡集』(1965)に収められています。

根岸教授が注目されたのは、安井琢磨教授(1909-1995)が、ジャッフェの書簡集の出版よりも早い1957年に『経済セミナー』の学生向けの記事で、引用元を明らかにせず、この文章を紹介しているという事実です。いったい安井教授はどこからこの文章を引用したのでしょうか?

根岸教授が示されたこの謎を解こうと、私もいろいろと調べてみましたが、どうしてもわかりませんでした。そこで今年の夏、この分野の大御所ともいえるフランス人研究者にも相談してみたのですが、ついに決定的な答えは得られなかったのです。

追記:根岸教授の「ワルラスと樫の木」講演録は、ウエッブでもアクセス可能です。日本学士院ニュースレターのN.17(2016年4月号)(14-15頁)

貴重書展示 マンデヴィル『蜂の寓話』仏語版初版(1740)

滋賀大学付属図書館では、年に2-3回、経済学の古典の展示をしています。展示図書の選定と解説は、私が担当しています。2016年秋の展示は、マンデヴィル『蜂の寓話』(仏語版初版1740)です。

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17世紀のオランダに生まれ、後にイギリスに移住した開業医マンデヴィル(Bernard de Mandeville, 1670-1733)は、1705年ロンドンで『蜂の寓話』を発表した。それは、最初匿名で出版されたが、瞬く間に人気を博し、多くの版を重ねた。本書の副題は、当初「悪漢化して正直ものとなる」であったが、1714年以降は「私悪は公益」となった。マンデヴィルは、個人のレベルでは悪徳とされるものが結果として社会的な利益に結びつくことを主張し、当時のイギリス社会を風刺したのであるが、これがセンセーションを引き起こし、一時は危険思想ともみなされた。本書は、18世紀のイギリスだけでなくヨーロッパの多くの思想家たちに影響を与え、フランスではモンテスキューやヴォルテールなどが刺激を受け、活発な論争が繰り広げられた。ぜいたくを追い求める人々の欲望が労働需要を生み出し、社会的な効用を生み出すというマンデヴィルの示したパラドックスは、利己的な個人の経済活動に基づく自由主義経済を、先駆的に表現したものとして現代では評価されている。利己心が意図せざる結果として公益に結びつくことを主張した、スミスの「見えざる手」への影響を強調する解釈もある。ただし、スミス自身は『道徳感情論』の中で、悪徳と徳の区別を問題にしないマンデヴィルの主張を「危険な傾向をもつ」ものとして批判している。

展示の詳しい様子は、滋賀大学図書館のお知らせページをご覧ください。本書は来年の3月まで展示予定です。滋賀大学図書館に来られる機会があれば、展示コーナーをぜひのぞいてみてください。

なお、この本の選定と解説にあたっては、米田昇平氏の『経済学の起源-フランス 欲望の思想』(2016)に大いに啓発されました。本書についての私の書評は『経済学史研究』(2017年1月号)に掲載される予定です。

ローザンヌ大学・国際労働機関 ILO 共催のワークショップで論文発表

2016年9月29-30日にローザンヌ大学で開催されたワークショップ-The Wage Workshop, Theoretical, Empirical and Historical Perspective on Wage, Subsistence and Basic Incomeで、ワルラスの労働市場観に関する論文を発表しました。

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ワークショップが開かれたローザンヌ大学 Château de Dorigny

このワークショップの主なテーマは「最低賃金」でした。経済学史研究者だけでなく、理論経済学者、労働経済学者、ILOに所属するエコノミストたちが参加しており、それぞれの観点から、興味深い報告をしました。参加者の大部分とは初対面で、異なる専門分野の研究者たちと有意義な交流ができました。

報告した論文のタイトルは、「レオン・ワルラスの純粋・社会・応用経済学における労働市場の概念」Léon Walras’ Concept of Labor Market in his Pure, Social, and Applied Economicsです。この論文は来年、某ジャーナルに掲載される予定です。