Presentation

貴重書展示 レオン・ワルラスの自筆書簡

 滋賀大学附属図書館の貴重書展示コーナーの展示替えを行いました。2022年秋の展示は、滋賀大学が所蔵するレオン・ワルラスの(Léon Walras, 1834-1910)の自筆書簡2通(1898年7月19日付と1901年6月29日付)です。
 現在、ワルラスの重要書簡の大部分は、ワルラス研究者ウィリアム・ジャッフェが1965年に公刊した書簡集(全3巻)に収められていますが、今回展示する2通の書簡は、この書簡集には収められていないものです。1898年7月19日付の書簡についての詳細な解説は、『彦根論叢』第434号(2023年1月・冬号)に「資料紹介」として、掲載される予定です。

 展示の様子と私の解説文はこちらをご覧ください。展示コーナーには、この書簡のテキストと和訳も展示してあります。

 

(追記)

1.2022年12月10日に 経済学史学会第182回関西部会(オンライン開催 中京大学)で、この書簡について報告をしました。参加者の皆さんから貴重なコメント、質問をいただきました。ありがとうございました。

2.2023年1月に『彦根論叢』に掲載されました。(資料紹介)「滋賀大学図書館所蔵 レオン・ワルラスの書簡(1898年7月19日付)」『彦根論叢』第434号(2023年冬)62-67.

GIDE 2022 Paris大会での報告

 2022年7月7日から9日まで、パリで開催された、シャルル・ジッド学会 第19回国際大会で、論文を発表しました。学会は、パンテオン広場にある、パリ第Ⅰ大学の由緒ある校舎で開催されました。

(プログラムはこちらです

3年ぶりのフランスでの学会報告でした。大会のテーマである、“Bonheurs et malheurs de l’agent économique” (経済主体の幸福と不幸)にちなんで、私は、ワルラスの共感概念について、報告をしました。論文では、ワルラスとアダム・スミスの共感概念の比較をしているので、スミスのセッションで報告することになり、スミス研究者から、貴重なコメントをもらうことができました。

フランスに到着してまずびっくりしたのは、マスクを着けている人がほとんどいなくて、コロナ以前の生活にほぼ戻っているということでした。さらに学校の夏休み期間に入っているので、空港や観光地は、欧米からの家族連れの観光客であふれかえっており、これまで見たことのないような混雑ぶりでした。

ただしコロナの感染者数は、フランスでも急増しており、学会直前に感染して、参加をキャンセルした人もいました。学会では、急遽、校舎内でのマスクの着用が推奨され、コーヒー・ブレイクやランチは、予定を変更して、屋内ではなく、中庭で提供されました。パリの気温は高かったですが、日本とは違って乾燥しているので、屋外での食事は、とても心地よかったです。

ウクライナでの戦争の影響による航路迂回により、日本とヨーロッパ間のフライト時間は普段より長く、また現地で帰国のための検疫書類の準備もしなくてはならず、いつもより疲れる出張でしたが、多くの研究者たちと再会の喜びを分かち合い、充実した時間を過ごすことができました。

国際ワルラス学会 AIW 2019 Lausanne での報告を終えて

 2019年9月13-14日にスイスのローザンヌ大学で開催された、第10回国際ワルラス学会 (The 10th Conference of the International Walras Association ) への参加を終えて、帰国しました。(プログラムはこちらです

 ローザンヌ大学のキャンパスは、郊外のレマン湖のほとりにあります。環境保護のため、キャンパス内には羊が放牧されていて、のどかな雰囲気です。

学会が行われたChâteau de Dorignyは、19世紀に、この土地を所有していた一族が建てた風情のある館です。

学会のテーマは、「ワルラスは新古典派か?」 « Walras—Neoclassical? » On Walrasian Historiographyでした。私は日本で初めてワルラスの翻訳を出版した経済学者、早川三代治の思想について報告をしました。

“Was Miyoji HAYAKAWA (1895–1962), the first Japanese translator of Walras, a neoclassical economist? “. (内容の一部をResearch Gate で公開しています)

 ワルラスやパレートがローザンヌ大学(旧ローザンヌ・アカデミー)で教えていたころ、校舎は、ローザンヌ旧市街にありました。1909年にワルラスの経済学者生活50周年記念祭(Jubilé) が行われたリュミーヌ宮(Palais de Rumine)は、現在、博物館と美術館になっていて、豪華な内部を、自由に見学することができます。リュミーヌ宮の横には、ワルラスをローザンヌに招いたスイスの政治家Louis Ruchonnet(1834-1893)の銅像があります。50周年記念祭で、ワルラスはこの政治家にちなんで「リュショネと科学的社会主義」という記念講演を行いました。

 またその記念祭の際に作られたワルラスのメダルは、旧ローザンヌ・アカデミー(Ancienne Académie de Lausanne)にあります。このメダルには、「レオン・ワルラスに。1834年エヴルーに生まれる。ローザンヌ大学教授。経済均衡の一般的条件を最初に確立し、それゆえ『ローザンヌ学派』の創設者となった。50年にわたる無私の研究をたたえて。」という碑文が添えられています。

 旧アカデミーは、16世紀に建てられた美しい建物ですが、現在は中学校の校舎として使われています。今回は、訪問したのが日曜日だったため、残念ながら中に入れずメダルの撮影はできませんでした。

 国際ワルラス学会の第1回目が開催されたのは1999年のパリで、今回は記念すべき10回目でした。名誉なことに私は、ローザンヌ大学ワルラス=パレート研究所長のBaranzini教授と共に、次期の副会長に選ばれました。実は、9月14日は私の誕生日で、ダブルで皆さんにお祝いしてもらい、とてもうれしかったです。

 本学会も世代交代が進み、多くの若い研究者の皆さんに参加してもらうために、いかに魅力的な学会に改革してゆくのかが、今後の課題です。次回の学会は日本で開催する可能性が高いです。日本の多くの研究者の皆さんが参加されることを祈っています。

ESHET 2019 Lille での報告を終えて

5月23日から25日まで、フランスのリールで開催された The European Society for the History of Economic Thought の年次大会(学会のサイトはこちら)での報告を終えて、帰国しました。

 学会が開かれたリール政治学院(Sciences Po Lille) は、フランスのエリート養成機関グランゼコールのひとつで、いろいろな点で格式の高さを感じました。歴史的な建築がモダンな要素と美しく融合した校舎でした。

私はこの大会の一日目に、イスナールとワルラスに関する論文 ”Numéraire, Workers, and the Tax system: Was Isnard a precursor of Walras?”を発表しました。(詳しい内容についてはこちらの記事)。この論文の内容に最も関係する、 Richard Van den Berg氏ご本人にもセッションに来ていただき、有益なコメントがもらえました。また大会三日目には、 Amos Witztum 教授( London School of Economics)の論文 Equilibrium: Coordination of what? Smith, Walras and Modern Economics の討論者も務めました。

 3日間の学会スケジュールはいろいろな行事が盛り込まれ、とてもハードでしたが、フランスが会場だったこともあり、食事がとてもおいしかったです。ランチもきちんと一人ずつサーブしてもらい、立食形式ではなくテーブルに座ってゆっくりと食べられました。前菜からデザートまで大満足でした。

 ホテルから学会会場まで、毎日20分程度歩いて通いました。日が長いので夜の9時を過ぎても明るかったです。ただリールの旧市街は迷路のようになっていて、毎日どこかで迷子になりました(笑)。

 今回のフランス出張の最大の収穫は、実に数多くの研究者たちと交流ができ、影響を受けることができたことです。これを糧に、また次の研究プロジェクトに取り掛かりたいと思います。

ESHET 2018 Madridでの報告を終えて

2018年6月7日から9日までスペインのマドリッドで開催された、European Society for the History of Economic Thought(ESHET) の第22回年次大会での論文報告を終えて帰国しました。

会場となったマドリッド・コンプルテンセ大学は15世紀に設立された由緒ある大学で、18世紀にはいち早く女性に博士号を与えたことでも知られています。今回の学会は、郊外にあるSomosaguasキャンパスで開催されました。マドリッド中心部からは地下鉄やトラムを使って移動する必要があり、少し不便でした。

私は二日目のセッションで、‟Léon Walras on the Worker-Entrepreneur”(詳しい内容はこちら)という論文を発表しました。聴衆はそれほど多くありませんでしたが、制限時間内にすべて返答できないほど、多くのコメントと質問がありました。予想していた通り、この論文は、J.B.セーの専門家にとってたいへん興味深かったようです。

学会のディナー・パーティは、服飾博物館内にある有名レストラン Café de Orienteで開催されました。スペインの夕食は一般的に遅いのですが、このディナーも9時に始まりました。6月は日が長いので夜9時でもまだまだ明るかったです。1時間ほどは戸外でアペリティフを楽しみ、コース料理が始まったのは10時頃、デザートを終えると12時を過ぎていました。この夜はたいへん寒かったうえ、慣れない深夜の食事で胃腸が悲鳴をあげそうでした。

学会開催中、多くの研究者たちと再会し、また新たに知り合った研究者たちと研究情報を交換することができました。新たなプロジェクトへの誘いも受け、私の研究活動にとってはたいへん有意義な機会となりました。

ただ今回の出張は、帰国便が航空会社の突然のストでキャンセルになるなど、様々なハプニングに見舞われ、正直言って疲れ果ててしまいました。日本に帰って来れてほっとしています。

ESHET 2018 Madrid大会で報告します

2018年6月7日から9日までスペインのマドリッド・コンプルテンセ大学で、European Society for the History of Economic Thought(ESHET) の第22回年次大会が開かれます(大会HPはこちら)。今回の共通テーマはEntrepreneurship, knowledge and employmentです。

私はこの大会で、”Léon Walras on the Worker-Entrepreneur” という論文を報告することになりました(報告論文サイトはこちら)。ワルラス一般均衡理論における企業者利潤ゼロの仮定は、ワルラス・モデルの非現実性を象徴するものとして知られていますが、そこにこめらた現実的な意図はほとんど知られていません。この論文では、ワルラスが一般均衡理論を完成する前にとりくんだアソシアシオン(協同組合)運動の構想や、晩年の未発表メモなどを手掛かりに、企業者機能を兼ねる労働者について、ワルラスがどのような議論を展開しているか、考察します。これは、マルクスなどの同時代の社会主義者たちの利潤論に対するワルラスの批判や、ワルラスの企業者論に大きな影響を与えたとされるJ.B.セーとワルラスの議論の本質的な違いを理解するための重要な鍵になると考えています。

さて6月のヨーロッパは、日が長く、過ごしやすい天気で、花も満開です。このような美しい季節にマドリッドを訪れるのはとても楽しみです。

ローザンヌ大学でのセミナー

(前の記事からの続きです)

2018年3月16日、ローザンヌ大学ワルラス・パレート研究所(Centre Walras Pareto d’études interdisciplinaires de la pensée économique et politique)でセミナーを実施しました。タイトルは、「日本のワルラシアン経済学者たちは、ワルラスの社会正義の概念をどうとらえたか Japanese Walrasian Econonomists on Walras’s Idea of Social Justice」 です。

セミナーの内容は、2017年1月にリヨンで行ったセミナーとほとんど同じでしたが、リヨンではワルラス経済学が導入された当時の日本の歴史的状況について多くの質問があったので、今回は、明治維新から1930年代までの欧米経済思想の日本への普及過程をできるだけていねいに説明しました。セミナーには、研究所長のRoberto Baranzini教授、François Allison講師をはじめとして、助手や博士課程の学生さんたちに参加していただきました。

3日間のローザンヌ滞在中、このセミナーのほかにも、研究所のスタッフの皆さんたちとランチやディナーを共にし、楽しい時間を過ごすことができました。さすが国際都市ローザンヌだけあって、スイス料理だけでなく、イタリア料理やギリシア料理も楽しむことができました。

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ローザンヌ大学のキャンパスはレマン湖畔にあり、普段は美しい湖と対岸のフランスのアルプスの絶景が楽しめるのですが、今回の滞在中は、残念ながらお天気が良くなかったので、アルプスの峰々はずっと雲に覆われたままでした。

ESHET 2017 Antwerpでの報告を終えて

2017年5月18日から20日までアントワープで開催された、ESHET (European Society for the History of Economic Thought ) の年次大会での報告を終えて帰国しました。

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ヨーロッパで一番美しい駅として知られるアントワープ中央駅

 学会が開催されたアントワープ大学は、由緒ある歴史的建築の校舎に囲まれた大変美しいキャンパスでした。残念ながら、大会開催中はずっと小雨が続きました。

私は、ワルラスがスミスの『国富論』をどう読んだかという問題を扱った論文 “Léon Walras on The Wealth of Nations— What did he learn from Adam Smith?” を発表しました。討論者のJ.P.Potier教授や、セッションに参加した皆さんから貴重なコメントをいただきました。

また David Andrews教授の“Laissez faire and the rationality of nature: A critique of Michel Foucault’s interpretation of Adam Smith”という論文の討論者も務めました。大きな学会では、必ずしも自分の専門テーマではない論文の討論者に振られることもあり大変ですが、勉強になることも確かです。(学会プログラムはこちらです)

学会最終日のパーティは、アントワープ市庁舎で行われました。市庁舎の外観や広場の眺めも素晴らしいですが、内部の絢爛豪華な装飾は息をのむほどの美しさでした。特に市庁舎の大きな窓から眺めるアントワープの聖母大聖堂は圧巻でした。アントワープ市民は普通、この部屋で結婚の手続きをする際にのみこの光景を見ることができるという説明をうけました。

3日間の学会で、ヨーロッパの多くの研究者たちと再会し、また新しく知り合った研究者たちとも有益な議論ができました。これをきっかけに、また新たな国際共同研究プロジェクトが始まることを期待しています。

ESHET 2017 Antwerp大会で報告します

2017年5月18日から20日まで、ベルギーのアントワープで、ESHET (European Society for the History of Economic Thought ) の第21回年次大会が開催されます。(プログラムはこちら

この学会で、ワルラスが『国富論』をどう読んだかというテーマで研究発表をすることになりました (Léon Walras on The Wealth of Nations— What did he learn from Adam Smith?) 。この論文は、ローザンヌ大学ワルラス文庫の調査の成果の第一弾にあたり、スミスの「見えざる手」とワルラスの一般均衡理論を結び付ける教科書的解釈にも一石を投じることを意図しています。

なおこの学会での報告内容を、専門家ではない方々でも理解できるように要約して、6月15日に滋賀大学リスク研究センターのEnglish Lunch Seminar で発表する予定です。学内の方々の参加をお待ちしています。

リヨンでのセミナーを終えて

2017年最初の研究活動です。1月13日、リヨンのトリアングル研究所で、Japanese Walrasian Economists on Walras’s Social Economics : Introduction to the Japanese Translation of Études d’économie sociale de Léon Walrasというテーマでセミナーを実施しました。(プログラムはこちら

セミナーでは主に、ワルラスを日本語に翻訳・紹介した3人の経済学者たちー手塚寿郎、早川三代治、久武雅夫と、日本を代表するワルラシアン経済学者ー森嶋通夫をとりあげ、彼らがワルラスの社会経済学およびワルラスの科学的社会主義・社会正義観をどうとらえていたかという話をしました。

当日は、このセミナーに私を招聘してくれたRebeca Gomez Betancourt氏をはじめとするリヨン第2大学教授の皆さんたちのほかに、同大学の名誉教授であり『ワルラス全集』の編者でもある Pierre Dockès 教授とJean-Pierre Potier教授、トリアングル研究所の元所長のGérard Klotz教授も、セミナーに参加してくれました。また今回は、研究者や博士課程の学生さんだけでなく、修士課程の学生さんたちも多く出席してくれたことが、とても印象的でした。

 

さてリヨンという町は、現在のフランスの首都パリよりもずっと古い歴史をもち、古代ローマ時代はガリア地方の首都でした。中世以降は、金融業や絹織物業で栄え、旧市街の美しい街並みはそのままユネスコの世界遺産に指定されています。この繁栄を支えた絹織物業にかかわる史跡が、職工たちが住んでいたクロワルッスの丘に主に残っています。

 

Cours des Voraces は、1830年代と1848年の2月革命のときに絹織物の職工たちが、賃金や労働条件を巡って闘った場所として有名です。

 

「ジャカード織機」で有名なジャカール(Joseph Marie Jacquard,1752-1834) の銅像です。彼の発明した機械の導入によって職を失うことを恐れた労働者たちが、最初、激しい抵抗運動を繰り広げたといわれていますが、結局は生産性の向上につながることから、広く採用されるようになりました。銅像には、「Bienfaiteur des ouvriers en soie 絹の労働者たちの恩人」という文言が刻まれています。

 

クロワルッスの丘には、「ジャン=バティスト・セー通り」があります。「セー法則」でおなじみの経済学者 J.B.セー(Jean-Baptiste Say, 1767-1832) はリヨンの絹織物商の家に生まれました。この通りからコルベール広場に入ると、眼下にリヨンの絶景が広がります。

今回の滞在期間中、フランスは大寒波に見舞われており、リヨンでも珍しく雪が積もったほどでした。また日本に比べて日も短く、あまり散歩をたのしめる気候ではなかったのが残念です。